静謐と夕暮

静謐と夕暮

静謐と夕暮

私は、忘れたくないと思っていた記憶を忘れていたことに、ある日気が付いた。お世話になった『その人』との思い出についてである。大事にしていた言葉ですら、それまでの間 ...


予告編


作品紹介

私は、忘れたくないと思っていた記憶を忘れていたことに、ある日気が付いた。お世話になった『その人』との思い出についてである。大事にしていた言葉ですら、それまでの間、呆気なく忘れていた自分に、心が少しモヤついた。

モヤの正体を知るため、『その人』にもう一度向き合うべく、『その人』に関わっていた人々へインタビューを始めた。

インタビューに応じてくれた人々は、『その人』に関する様々な出来事や証言、或いは彼ら自身の死生観について話すうちに、気づけば『その人』が生きていた頃の自らの日常や、日常の中の『その人』との記憶を語り始めた。

日常と記憶。
私の日常には、『その人』が生きていた時の記憶がある。
誰かの日常に、私の記憶はあるのだろうか。ふとそんなことも思った。

『静謐と夕暮』は、『その人』と、インタビューに応じてくれた人や私の日常をつなぎ直す過程、そのもがきの軌跡である。そしてこの日常が、誰かにとって生きることの無意味さをほんの少しだけ特別なものにできたらという、切なる祈りである。

梅村和史
唯野浩平
山本真莉

映画/2020年/カラー


あらすじ

自分の生活をひたすらに原稿へ認める〈カゲ〉という人間がいた。カゲは、死に別れた親とよく休日を過ごしたこの川辺で、物思いにふけりながら、今日、原稿に書くことを考えていた。そんなある日、その川辺に、黄色い自転車の男が来るようになった。どうやらその男は、自分の部屋の隣に引っ越してきた男と同じ人物らしい。カゲは、バイト帰りの早朝に街中で見つけたその男の行く先が気になり、追いかけてみることにした。

これは、原稿に書かれた紙面上の記憶の話である。
その紙面上の記憶が、川辺に住む、死にかけた老人の手に渡る。街ゆく人々は、その老人を通り過ぎようとしても、その原稿の中の時間を読み耽り、思いを馳せてしまう。いつかすれ違った、黄色い自転車の男との日常に。


お知らせ

「S.T.E.P. 2021」(大学連携による映画人育成のための上映会)にて『静謐と夕暮』が上映されます。
開催期間:2021年3月14日(日)~19日(金)
会場:K’s cinema

この度「大学連携による映画人育成のための上映会S.T.E.P.」にて『静謐と夕暮』が特別上映枠を設けていただき、上映する運びとなりました。『静謐と夕暮』が皆様のもとに届くこと、とても嬉しいです。

完成から約一年がたった今も、こうして『静謐と夕暮』を思ってくださる皆さま。
本当にありがとうございます。皆さまに感謝と、やわらかく、そしてあたたかい風が届きますように。

是非、劇場でご覧ください。よろしくおねがいいたします。

山本真莉


本作に頂いたメッセージ

放心状態の「漂流物」めいた人々が、そこに強力な磁場があるかのように雑草が生い茂り頭上の鉄橋を多くの列車が行き交う川辺に吸い寄せられる……。そんな光景を眺めながら、映画とは、時間や空間の表象=再現である以上に、時間や空間の創造であり彫刻なのだ……とあなたはあらためて気づかされるだろう。『静謐と夕暮』は驚くべき傑作であり、本作を覆う静かで危険なノイズは、「力まかせの空騒ぎ=面白い映画」なる幻影を無言のうちに、しかし完膚なきまでに破壊する。至福の映画体験が約束された136分である。

北小路隆志さん(映画評論家)


まだ子供のころ、夏の夕方、5時半から6時半、空気は青く、水面は鏡のようにしずかで、私はなくなる。世界に溶けてゆく。

「静謐と夕暮」のスクリーンでは、風はざわざわといって、扇風機は回る、電気が消える、キレイ、夜走る自転車、電車の窓の反射が橋脚に映る…。
他人に見られる、という自意識がないぶっきらぼうな主人公の少女、過去を旅し、辺境の川原に、何もしない。ただただ、目が開かれて行く。

主演の山本真莉の自意識のない瞳は、世界に名前のつく前の豊かな時間を垣間見せてくれる。
詩のような時間を生きることができていた時間を。

古厩智之さん(映画監督)
『ホームレス中学生』『のぼる小寺さん』


丁寧に積み重ねた映像と丹念に拾い集めた音が静かに人の呼吸を際立たせる。
一輪挿しの花のように孤独な人々を梅村監督は優しいショットで包み込んでいく。
スクリーンと対峙しながら、いろんな問答を自分と繰り返した。
長期熟成されたウイスキーを味わうように、
深く記憶の余韻が広がる映画だ。

白石和彌さん(映画監督)
『孤狼の血』『凶悪』


わたしたちはスクリーンをまえにし、最初に『映画』をみることをはじめるのだが、つぎの瞬間『詩』に出会う。みているうちに、わりとすぐその『詩』は自分自身を忘れるようにとしむけてくる、わたしたちはそのまま『詩』を忘れ、かすかな残り香を探しながらも『映画』にとりこまれていくので、自然とみるものがそれぞれにそれぞれの物語をつづりはじめる。そうして、そこから、わたしの『映画』がはじまり、つづられ、終わる。

みおわったあと、はたと気がつく。いまみた作品は『映画』であるが、出発点は『詩』のように思える。『映画』の根っこには一篇の『詩』があったのではないか、と。この『詩』は、 わたしのつづった物語と、かすかに関わり、また無関係で、濃厚に絡みあってもいたのだと知る。

「静謐と夕暮」は、だから、わたしには『詩&映画』というよりは、
『詩そして映画』というふうにかんじられる。

詩と映画、昼と夜、生と死、思い出と現在、少女のような少年と男のような女、穏やかでやさしげな父と孤独なホームレスの老人……。境は混じりあい、ぼやけて、ボーダーレスな世界を淡くはかなく映しだす。
世界はとても水色だ。

唯野未歩子さん(映画監督・女優)
『三年身籠もる』『9souls』


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