アップリンク京都で行われた、北白川派映画『のさりの島』イベントレポート

2021年7月30日(金)
福岡芳穂(映画監督)× 天木皓太(京都芸術大学映画学科4回生(『のさりの島』監督助手)

アップリンク京都での初日イベントには、北白川派第8弾『CHAIN』の公開が控える映画監督・福岡芳穂さんと『のさりの島』で監督助手を務めた天木皓太さんが登壇。
プロと学生が一緒になって劇場公開作品を作る「北白川派」プロジェクトとは一体何なのか? お二人にお話いただきました。

「北白川派」のはじまりは、京都芸術大学で美術を教えられていた映画美術の巨匠・木村威夫さんの監督作品『黄金花 秘すれば花、死すれば蝶』を学生と一緒に撮ったこと。この現場が「学生にとって非常に大きな体験となったので、大学のプロジェクトとして継続していきたいという話が浮上した」と当時のことを振り返ります。「大学が左京区の北白川というところに位置しているので『北白川派』と名付けられ、以後、大学の支援を受けながらこういったプロジェクトとなった」
これまでに「北白川派」は、7本の作品を世に送り出してきました。

監督助手として『のさりの島』の現場を体験し、いまも配給宣伝活動に携わる天木さんは「脚本の段階から観客に映画を届けるまで、このようなかたちで映画の世界を経験する機会はなかなかない」と「北白川派」ならではの経験を語ります。
しかし、それは決して学生のためだけのものではない、とプロの映画監督の視点から福岡さんは捉えます。「普段プロ同士で行うと、お互いわかりあっている部分があり、そういったことを前提で進んでいったりするが、逆にその枠から出ることが難しい。学生は自分たちでは思いつかなかったような発想やアプローチをし、気づかされることがある。必ずしも学生に経験値を与えよう、ということだけではない」

その上で『のさりの島』に流れる魅力を福岡さんはこう述べます。「学生たちが撮影の前から天草に行き、現地の人たちと時間を共有したことで、映画の中に実際の天草という場所の空気が引き出され、人物たちがちゃんと存在しているように思う」
今回の『のさりの島』のみならず、以前「北白川派」で製作された『カミハテ商店』でも、山本監督は地方ロケを遂行。「映画というものは我々だけではなく、常にいろんな方の協力、手助け、そしてときにはご迷惑もかけながらやるもの。そういったことを山本監督は一番意識されていて、場所と時間を学生と共有しながら作るということが、山本監督の北白川派での大きな考え方だと思う」そう福岡さんは捉えられていました。

「場所と時間を共有することで、現地の空気感が映画に透けてくるようなアプローチであり、真似はできないと感心した」
これまでの北白川派作品を観ることで、監督ごとの様々なアプローチが見えてくるかもしれません。

本日登壇された福岡芳穂さんの最新作『CHAIN』の公開もお楽しみに……!


2021年7月31日(土)
北小路隆志(映画評論家)× 中川鞠子(京都芸術大学映画学科3回生(パンフレット寄稿))

2日目の上映後イベントには、映画評論家の北小路隆志さんと『のさりの島』のパンフレットに映画評を寄稿した中川鞠子さんが登壇。
中川さんの映画評を、プロの映画評論家である北小路さんはどう捉えたのか? 中川さんの映画評のキーワードである「機能不全性」「おとぎ話」という二つの軸から、『のさりの島』を捉えなおす時間となりました。
今回は「おとぎ話」にまつわる、お二人のお話をお届けします。

当日話題に上った坂部恵さんの著書『かたり——物語の文法』(ちくま学芸文庫)によると、「はなし」と「かたり」を比較すれば、「発話行為のレベルの差」が認められる、といいます。「はなし」は直接的で日常的なものであるのに対し、「かたり」は二重化された度合いが高く、日常からの隔絶や遮断の度合いが高いものであり、「語る」ことと同様に「騙る」(かたる)ことも、二重化された「かたり」とすることが可能なのではないか、と。
また「はなし」も「かたり」も、相互的なやりとりでありながら、「はなし」は「水平的」である一方、「かたり」は水平的な要素も持ちつつも「垂直的」な要素も含んだ発話行為である、と坂部さんはあわせていいます。

すなわち『のさりの島』において、孫の将太を騙りやって来る男(藤原季節)の登場は、水平的で日常的な「はなし」の世界に、垂直的な「かたり」をもたらす。その上で艶子(原知佐子)は、将太を騙りやって来た男を「かたり」として距離を置いて接するのではなく、「孫の将太」として捉えることで、自らに関係のある「おとぎ話」として受け入れたのではないか……? そう考えることもできるのかもしれません。

山本監督に送った感想文をもとに書きはじめた中川さんの映画評を、同じくパンフレットに寄稿された上野昻志さん(評論家)、筒井武文さん(映画監督)の映画評と比較してみるのも面白いのかもしれません。
「同じシーンの同じ出来事を描写するにしても、どのような『ことば』を選び、どのように『書く』のか? その違いによって読み手の見方は変化していき、映画もまた、走り出すことができるようになる」北小路さんがおっしゃったこの言葉こそが、映画について書くことの面白さであり、映画評を読むことの面白さなのではないでしょうか。

『のさりの島』のパンフレットには、映画評のみならず、山本起也監督のインタビューや、小説家・辻井南青紀さんによるプロダクションノートなども所収されています。鑑賞とあわせて、お手にとっていただけたら幸いです。

(イベントレポートの執筆にあたって、書誌情報などを一部、補完しました。)


2021年8月1日(日)
木田紀生(脚本家)× 原口一希(京都芸術大学映画学科4回生(『のさりの島』撮影助手))

3日目の上映後には、『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』などの脚本を手がけてこられた木田紀生さんと『のさりの島』に撮影部として参加した原口一希さんが登壇。
脚本家である木田さんに『のさりの島』はどのように映ったのか? スタッフとして脚本や撮影現場に携わってきた原口さんが、尋ねる形ではじまりました。

脚本家の立場から『のさりの島』をひとつの作品として鑑賞した際、まず「なぜいま、天草でオレオレ詐欺の話なのか? という点が気になった」と木田さんは話します。その上で、事件らしい事件も起こさないという作劇、案山子職人や映画館でポスターを見つめる少女など、物語の本筋に本来不必要な登場人物の存在に、木田さんはなぜ? という問いを抱きつつも、それらを欠点として捉えるのではなく「むしろ映画のなかで忘れられない要素として注目した」とのお話を進めます。

また『のさりの島』の脚本の特徴に「主人公の役名が場面によって変わっていくこと」があげられるそう。当初「若い男」と記載されていた主人公の役名は、老女・艶子(原知佐子)と共に暮らすようになって「将太」と書かれるようになる。そして艶子のもとを去るとき、再び「若い男」に戻る。この特徴について、木田さんは「オレオレ詐欺をする人間たちを本当はオレではない。詐欺師は多くの人間になりすましていく自分を持たない人間たちであり、『のさりの島』の主人公である若い男は何者にもなれる男、逆にいえば何者でもない男なのだ」との議論を展開されました。

若い男(藤原季節)が息子になりすましていたと気づかれるシーンでも結局、男の素性が最後まで明確には描かれない点に「それらはすべて、主人公がオレオレ詐欺の男であることも含めて、必然だったのではないか?」という木田さんの指摘に、すべてを語らない『のさりの島』を原口さんは「痕跡を残していく映画」と表現。脚本を映画にするにあたって「意図的に説明を廃した箇所もあった」と当時を振り返りました。

良いことも悪いことも天からの授かりものである「のさり」を念頭に置きながらも、その言葉を劇中にはあえて登場させず、「痕跡」という形で私たちに見せる。
それこそが、木田さんをはじめとする観客が『のさりの島』に惹きつけられる所以なのかもしれません。


映画『のさりの島』上映+14日間連続トークイベントを開催中!(@アップリンク京都)

2021/7/30(金)〜8/5(木)映画学科が語る『のさりの島』
□19:40〜21:51の上映後、ゲストを迎えてのトークイベントあり
7/30(金)福岡芳穂(映画監督)
7/31(土)北小路隆志(映画評論家)
8/1(日)木田紀生(脚本家)
8/2(月)水上竜士(俳優)
8/3(火)山本起也(映画監督)
8/4(水)椎井友紀子(映画プロデューサー)
8/5(木)嵩村裕司(映画美術装飾)

2021/8/6(金)〜8/12(木)スタッフ・キャストが語る『のさりの島』
12:25〜14:36の上映後、ゲストを迎えてのトークイベントあり
※8月9日(月・祝)のみ11:20〜13:31の上映後、トークイベントを開催

8/6(金)吉田大作(『のさりの島』宣伝担当)
8/7(土)宮本伊織(『のさりの島』出演)
8/8(日)吉田憲義(『のさりの島』録音)
8/9(月)鈴木一博(『のさりの島』撮影)(この日のみ、11:20〜の上映)
8/10(火)山本起也(『のさりの島』監督)
8/11(水)中田茉奈実(『のさりの島』出演)
8/12(木)酒井洋輔(『のさりの島』出演)