伝えずにはいられない感動を、映画で届ける

『オーファンズ・ブルース』・『裸足で鳴らしてみせろ』工藤梨穂監督インタビュー


 人生最後の作品になるかもしれない。そんな決意のもと、撮影に臨んだ『オーファンズ・ブルース』で、見事「PFFアワード2018」のグランプリに輝いた工藤梨穂監督は、今も映画の現場に携わりながら、監督業を続ける。『オーファンズ・ブルース』以来、世の中に出す作品としては初となる最新作『裸足で鳴らしてみせろ』は、これまで李相日監督や石井裕也監督などの商業デビュー作を輩出してきた「PFFスカラシップ」(PFFがトータルプロデュースをする映画製作プロジェクト)の権利を得て、制作された。
 最新作のお披露目が9月に迫る中、初監督作品の短編映画『サイケデリック・ノリコ』から『オーファンズ・ブルース』、そして『裸足で鳴らしてみせろ』に至るまで、監督の道を着々と進んできた工藤梨穂に迫る。


工藤梨穂

KUDO Riho

1995年生まれ、福岡県出身。京都造形芸術学部の卒業制作『オーファンズ・ブルース』で、PFFアワード2018グランプリ、ひかりTV賞をW受賞。その後、テアトル新宿はじめ、全国の劇場で公開され、話題を呼んだ。


 高校2年生の時、西加奈子の小説『さくら』を読み、その時に受けた感動を誰かと共有したいと思った工藤は、「映画」という表現が最も適切だと考えた。そして、その日のうちに映画監督を志す。文章を書くことが好きで、昔から小説には触れていたものの、映画はほとんど鑑賞しておらず、自分の目指す表現だ、と思ってから観始めた。それから大学に入り、大学2年生で短編映画『サイケデリック・ノリコ』を監督した彼女は、映画監督になる夢に向かって一直線に進んできたように見える。しかし、お話を伺うと違った一面が見えてきた。

「監督になりたいと思って学校に入ったものの、大学1年生の時は映画学科にあんまり馴染めていなくて。友達もそんなに多くなかったし、他学科の友達とずっとつるんでいて、映画はちょっと違ったのかもしれない、と思って。だから、転科もちょっと考えていたんですけれど、2年生でゼミがあって、そこまでやってみるか、みたいな気持ちだったのかな。企画を出したら通って……」

映画監督・青山真治氏と映画評論家・北小路隆志氏による「仕草」をテーマにした2年次の短編制作ゼミにおいて、工藤は「噛む」仕草を題材にした『サイケデリック・ノリコ』を企画・監督。映画監督を志してから3年余りのことだった。

「今も芝居の演出などは、かなり手探りなんですけれど、当時はもっとわからなかったから、本能と感覚だけで撮るしかない、みたいな。撮影に関しても一つひとつ意図を持ってショットを撮っていくということもなく、『なんかこのショットがいい気がする』みたいな、そういう感覚しか武器がなかった、というか。現場中もすごく楽しかったんですけれど、計画していたカット割りができない、そうなった時に、現場がストップしてしまって……。その時、重い空気感も経験して、映画作りって楽しい時は死ぬほど楽しいし、しんどい時は死ぬほど苦しいという極端さを感じ始めていました」

楽しかったと振り返りつつも、苦い思い出も残る初めての現場。酸いも甘いも嚙みわけた工藤が、その後も監督を続けようと思えたのは、いつ頃だったのだろうか?

「合評後かもしれないですね。合評で「なんかいいじゃん」と言われて。ちゃんと頑張ってみようって思ったのは、そこからだったような気がします」

 監督を続けよう。そう決意したものの、3年次には監督作品を撮っていない。その経緯を聞いてみると意外な答えが返ってきた。

「3年生は、青山真治監督の中編制作ゼミに入って『オーファンズ・ブルース』の原型のような企画をそこで出したんです。でも通らなくて……。そのゼミでは制作部と録音助手をやっていました」

後にPFFアワードでグランプリを獲得する『オーファンズ・ブルース』の原型とも言える企画が、一度は落選。翌年、卒業制作でリベンジするにあたって、どのように企画を膨らませていったのだろう? 『オーファンズ・ブルース』の企画の経緯も含めて、工藤はこう答えた。

「とにかくロードムービーがやりたい。そんな思いが最初にあって、なぜ、旅をするのかから考え始めました。あとは、バッドエンドとハッピーエンドが混ざったような終わり方をしたい、と思っていて。切ないけれど、幸せそう。幸せなんだけれど、苦しい。そんなことがやれたらいいな、とは思っていました。脚本は、全部で7稿ぐらい書いたんですけれど、3稿か4稿で、これだ! というラストシーンが思い浮かんで。そこから物語を遡って考えていった結果、アルツハイマーの症状を参考にしてエマの設定が変わっていきました。それまで、自分でもこういう終わり方でいいのか? といった葛藤はずっとあったんですけれど、ラストが決まってからは、これだという物語の筋が見えました」

 主人公・エマ(村上由規乃)の存在感のみならず、バン(上川拓郎)・ヤン(吉井優)・ユリ(辻凪子)・アキ(佐々木詩音)・ルカ(窪瀬環)……。一人ひとりの人物が際立つ作品である。このような人物造形は、どのようなプロセスで行われていったのだろう?

「エマは物語の筋だから、この人を映し続ける映画にしようということはあったんですが、卒業制作でもあるから、それ以外の人物もそれぞれが印象に残るようにしたい、同じように存在感を出したい。そう強く思っていたので、ペンション入ってからは、一人ひとりのシーンや、より心情に寄り添えるように表情を捉えるクローズアップショットを撮ろう。そう意識していたかもしれないですね。それぞれのキャラクターの強さが出たらいいな、と思っていました」

 初監督作品『サイケデリック・ノリコ』で主演を務めた村上由規乃と窪瀬環は、『オーファンズ・ブルース』でもそれぞれ重要な役どころで出演している。

「村上さんは、この人しかいない、という感じがずっとあって。ちょっと大げさかもしれないけれど、この人がいないなら映画を撮れない、と思っていた。窪瀬さんに関しても、私がやりたいことに対してこの人なら理解してくれるだろう、という信頼もあったし、空気感や雰囲気にも魅せられていた。その人が持つ雰囲気も映画にとって重要なことなので、再びオファーした。そういった経緯です」

『オーファンズ・ブルース』

 本編の議論に進もう。エマが抱えるかつての傷や記憶は——それらは目に見える、見えないといった違いはあるが——「身体」に残るものとしてある。それに対し「暇だったからさ、エマちゃんの部屋も掃除しちゃった」といったユリのセリフや、洗濯されてヨレてしまったノート。それらは「身体」とかけ離れた、身体たり得ない「所有物」であることを意識させる。エマが失いゆく「身体」化された記憶は、ユリの片付けや洗濯といった行為によって他者によるコントロールが可能な「所有物」のように、自らの意思と反する場所で、侵食されてゆく……。だからこそエマは「身体」にも文字を刻み始める。『オーファンズ・ブルース』において、ひとつの大きなテーマであり、モチーフである「身体」を撮ること。その点を工藤はどのように考えていたのだろうか? すると『オーファンズ・ブルース』のみならず、工藤が映画を撮る上での1つの軸が見えてきた。

「物語を動かすコマとして人物がドラマに居る。それだけで映画を終わらせたくない思いと、その人の持つ肉体を映したい、という思いがあって。「運動性」と言ったらいいのかな。映画で人物を捉えるからには、より肉感的なものでありたい、というか、生々しさを捉えたい気持ちがあるんです」

 人物の描写についても言及したい。同じような年齢層の人物が集うシーンにおいても、彼女たちは決して一般論やステレオタイプに収斂されることがない。例えば、ユリがエマの唇に紅を差すシーンを振り返ってみる。ユリは「エマちゃんにも塗ってもいい?」と、まるで母親のようにエマの唇に紅を差す。それまで、大人びて見えていたエマが「塗ったことない」とふと呟き、されるがままユリに塗られる姿は、子供らしさが滲み出てきたかのように見える。そんなエマの姿を見て「ない方がいい」と呟くバンは、2人の女性に置いてきぼりを食らった子供のようだ。
 また、誰かがずっと「大人」として、あるいは「子供」として、存在し続けるのではなく、それぞれが「大人」と「子供」のあわいを揺れ動くのも印象的だ。記憶を失いゆくにつれて、エマは歯の磨き方も忘れてゆく。歯磨き粉の蓋が開けられずに焦るエマにバンは手を差し伸べ、彼女を連れ出す。紅を差すシーンにおいて置いてきぼりを食らっていたバンはここで、子供の仕上げ磨きをするかのようにエマの歯を磨きあげる。母性的な要素を比較的多く持っていると目に映るユリも、バンの恋人として甘える時には幼さを感じさせるし、エマ・バン・ヤンの3人が持つ過去には介入できずに、嫉妬まじりの見つめる姿は、子供のようでもありながら、決して子供は抱かないような鋭い眼差しを傾けている……。比較的同年代の人物が集うこの映画において、描き方が固定化されることがない。「大人」でありながら「子供」である、「子供」でありながら「大人」である。下手すると「矛盾」と捉えられかねないこの彷徨を演出する上で、意識したことはあったのだろうか? そう聞くと、少し驚いた表情を見せつつ語り始めた。

「みんな子供みたいだね、とは結構、言われたんですけれど、そこはそんなに意識しなくて。結構無意識というか……。多分、自分が描く人は、結構子供っぽくて、新作の『裸足で鳴らしてみせろ』も多分そう。だからそこはそんなに意識してはいなかった。エマがどんどん退行してゆくのは、村上さんと話しながら決めていました。例えばペンションにいる時も、タバコを吸って「大人」に見えつつも、歯磨きがわからなくなっている。そうして「大人」と「子供」の間を行ったり来たりしていたんですけれど、後半、ペンション出てからは、一切タバコを吸わないようにしよう、前半と後半で目に見える変化を見せて、どんどん幼少化していくようにしよう。そういう風にやっていた記憶はあります」

 映画の終盤、背丈以上に伸びた草叢で何かを探し求めるバンに、エマはウクレレの話を持ちかける。「全然上手くならないじゃん」と口にするエマに「もっと練習したら上手くなるよ」とバンは今までと変わりなく、自然に答える。そんなバンに対し、エマは唐突に「バンの靴下、隠したでしょ?」と続ける。手を止め、驚いた表情を浮かべながら振り返るバン。変わらずにエマは、言葉を投げかける。「かわいそうじゃん、そんなことしたら」バンは悟ったかのように、生い茂る草叢の方へ向きを戻し、探し続けるフリをする……。このエマとバンのやりとりは、エマの中で、ヤンとバンの認識(=記憶)が曖昧になっていることを端的に示す、名シーン・名セリフのひとつである。この名シーン・名セリフはどのように生み出されたのか? 「このシーンはなかなか脚本が決まらなかった」と工藤は答えた上で、こう続けた。

「そのシーンは、自分の中で全然定まっていなくて。脚本変えるたびにやりとりが変わって、別に悪くないけれど、何か違うみたいなのはずっとあって……。だから撮影中も、どうしようかなってずっと考えながら、とうとう当日まで来てしまった。このシーンを撮影する前日の夜に、エマ役の村上由規乃さんと、バン役の上川拓郎さんと「どうしようか」「どういう話をしたらいいんだろう」という話をずっとしていたんです。 ウクレレを使って何かを話す。そこまではいったものの、最終的なやりとりを決めるまではいかなくて。当日の朝、現場近くのコンビニで助監督の2人からも意見をもらったりもしたんですけれど、やっぱりどうしてもしっくりこなくて、めちゃくちゃ追い詰められていて……。自分からはもう出ない、そう思って「1回ちょっと、昨日話したことを踏まえてエチュード(即興芝居)的にやって欲しい」と言って、村上さんと上川さんの2人に任せて演じてもらったらあのシーンが生まれて……」

現場での感動を思い出しながら、工藤は続ける。

「最初に見た時は、本当にすごかったですね。靴下の件も含めて、ほとんどが村上さんのアドリブで。実際に本編で使っているところは、何回も、何回も、そのやりとりをしてもらって撮ったところなんですけれど、最初にやってもらった芝居は、今思い出してもやっぱりとてつもない瞬間だったと思います。何回もできる芝居ばかりじゃない、というのは、その時にすごく思いました」

村上自身がエマの人生を生きていた。その証と言えるようなエピソードに驚愕する。村上の力はもちろんのこと、それは、エマの人生を村上に与えてきた工藤の演出力によって、引き出されたものなのではないか? そう聞くと、彼女は「メンバーが最高だったんですよ」と村上をはじめとしたキャストやスタッフの名前を次々と口にした。

「助監督の2人がすごく作品想いな人で「できるだけ順撮りでやらせてあげたい」と言ってくれたので、ほとんど順撮りで撮影させてもらいました。村上さんも「順撮りでやらせてもらえたから、出来た芝居もある」と言っていましたね」

なるほど、工藤組の『オーファンズ・ブルース』は、それぞれのスタッフ・キャストの力が結集し、偉大な輝きを放っているようだ。

【『オーファンズ・ブルース』ラストシーンについてのネタバレを以下含みます】

 ラストシーンへと移ろう。エマとバン、2人が背中を合わせて乗る自転車。エマはいなくなったヤンを見つけたかのように、「どこ行ってたの」と問う。「ごめん、待ったよね」バンは涙をこらえながら、ヤンを演じ続ける。エマにとって、エマとヤンの2人の空間である2人乗りの自転車は、バンにとって、エマ・バン・ヤンの3人乗りの自転車である。「バッドエンドとハッピーエンドが混ざったような終わり方をしたい」「切ないけれど、幸せそう。幸せなんだけれど、苦しい」。そんな終わりを目指したこの作品のラストシーンは、どのように作りあげられていったのだろう?

「脚本全体として、これだ! と思えるものが決定稿では出ていたけれど、芝居の中で変わっていくよな、と思っていて。絶対、脚本通りに撮るぞ、という感じは、あんまり自分の中にはなくて、話の筋としてはこういうこと、その共有としてスタッフやキャストに見てもらえればいいな、と思っていたので、当然、現場で変わることもたくさんありました。最後のシーンも現場で変わった部分はありましたね。でも、あのシーンがどういうことを示しているのか伝わった人と、ちゃんと伝わらなかった人が観客の中にもいて……。でもあそこは、やっぱり全員にわかって欲しかったな、という気持ちがあって、もっとうまくできたら、とちょっと反省はしていますね」


 大学での卒業制作が「ぴあフィルムフェスティバル」(PFFアワード2018)でグランプリを受賞し、2019年には劇場公開もされた。多くの人に観てもらい、感想をもらうことで「全員にわかってほしかった」という思いも抱いた彼女は、大学を卒業してから3年余経った昨年、新作『裸足で鳴らしてみせろ』の制作を進めた。

『裸足で鳴らしてみせろ』(C) PFFパートナーズ、一般社団法人PFF

お披露目が9月11日(土)に迫る本作の企画の経緯を工藤はこう話す。

「映画のフォーリー(映像に合わせた動作音を録音し、合わせる手法)からヒントを得たんです。あれは、実際「嘘の音」じゃないですか。落ち葉を踏む足音を録っても、実際はポテチを踏んでいたりする。それが結構面白いな、と思ってストーリーのヒントにしました。最初から「この話をやりたいです」と出せたわけじゃなくて、最初の頃は結構迷走していて、自分でも100%納得できていない内容のまま締め切りに提出せざるを得なかったり……。でも、何回か再提出の機会が与えられて、そのおかげでこの企画を出せました。この話に行き着くまで、めちゃくちゃ長かったかな。半年くらいかかったかもしれません」

 世界旅行に憧れを抱いていたものの、行けなくなってしまった盲目のおばあちゃんが、「自分の代わりに本物を見に行ってほしい」と青年たちに夢を託すところから『裸足で鳴らしてみせろ』は始まる。最新作も、工藤は「ロードムービー」に挑んだようだ。大学での制作とは異なる現場を、こう振り返った。

「今まで、同世代のキャストやスタッフとしか制作してこなかったんですが、今回は、大人の方達にも携わって頂いて映画を作りました。大人のキャストでいうと風吹ジュンさんや甲本雅裕さんに出演してもらったんですけれど、すごかったですね。もうちょっとちゃんと、勉強しなきゃなっていうのは、本当に感じました。演出一つにしても、役者と話す時に自分の意図がうまく伝えられなかったり、役者の動かし方が全然できてないなかったり。スタッフと話していてもそうだったんですが、その人たちほど自分は映画を観てないし、いろんなことを知らないし、勉強不足が過ぎた。いろいろと足りてないな、っていうのはずっと感じていましたね」

 自身が監督として映画を撮る上で、学生の時から変わらずに大切にしていること、そして今後も大切にしていきたいことを、工藤はこう続けた。

「自分が思い付いて感動したことを、人に伝えずにはいられない。そういう気持ちが映画を作る原動力になるんですけれど、ずっとそれを持ち続けて制作したいな、という気持ちがあります。私は、自分が感動できなければ誰の心も動かせない。そう思っているんですが、『オーファンズ・ブルース』でも、『裸足で鳴らしてみせろ』でも、忘れられない芝居が起きた瞬間が確実にあった、と思っていて。やっぱり現場で感動することは失いたくないな、と。あとは、いつでも撮れるような芝居ではなく、この時を逃したら二度と撮れない。そんなものを撮りたいな、と思っています。スカラシップを通しても、他の現場でも、自分がやりたいことはやっぱりそこだな、と」

 思えば『オーファンズ・ブルース』もそうだった。工藤が現場で味わってきた「伝えずにはいられない」感動は、観客の「身体」に響き、忘れられない「記憶」へといつの間にか変化している……。ここまで言及してこなかった『オーファンズ・ブルース』の冒頭の30分を最後に述べよう。
 エマの佇まいとエマが見つめたもの、すれ違ってきたものが映し出されて進んでゆくこの作品の序盤で、観客はエマと共に世界を彷徨う感覚を「共有」する。エマに迫り来る忘却の影は、エマを、そして私たちをどこに連れ出すのか。観客はエマと同一化はできないし、し得ないとわかっていながらも、そのような不安がつきまとっている……。30分を過ぎた頃、アキとバンの釣りのシーンで、静かな衝撃が走る。いるはずだった場所に、エマはいない。エマの近くにあるようでいて、少しだけ切り離された世界が映し出される。それは、エマがいなくても(=エマの記憶がなくなろうと)成立する、いつの日かの世界を予感させつつ、何事もなかったかのようにエマが主軸に置かれた世界へと戻されてゆく……。
 工藤の発言を紹介するような形で言及してきた数々の名シーンは、この冒頭の30分余の間に、いつの間にか観客の身体に侵食してきたことによって、より観客の「身体(=記憶)」に残るものとなったはずだ。工藤が実際に現場で感動してきた名シーンの数々は、まるで連鎖するかのように、観客の「身体」に響き渡っている。「伝えずにはいられない」その感動が根元にある限り、最新作『裸足で鳴らしてみせろ』も、今後の作品も、工藤の作品は観客の「身体」に痕跡を残す、忘れられない体験へとなってゆくだろう。

「あとは、一番近いやりたいことで言うと、やっぱり村上さんでまた映画を撮りたいな、という気持ちがあります」

 お披露目を控える最新作『裸足で鳴らしてみせろ』では『オーファンズ・ブルース』でアキを演じた佐々木詩音との再会を果たしたが、この先もきっと、『オーファンズ・ブルース』で主役のエマを演じた村上由規乃をはじめ、彼女たちの再会をスクリーンで観ることができるのだろう。監督・工藤梨穂の、そして工藤組に携わってきたキャスト・スタッフたちの今後からも、目が離せない。

取材日:2021年8月3日
取材・構成:中川鞠子


工藤梨穂監督・最新作『裸足で鳴らしてみせろ』

『裸足で鳴らしてみせろ』
(C) PFFパートナーズ、一般社団法人PFF

青年たちは”世界”を鳴らす。どこへでも行けると信じて

「代わりに世界を見てきてほしい」という盲目の養母ミドリのためにナオミとマキ、二人の青年はレコーダーを手に”世界旅行”へ。旅の記録をテープに刻みながら彼らは次第に惹かれ合うが、”触れられない”二人が行き着く果ては…。

Let me hear it barefoot
2021年/カラー/128分
監督・脚本:工藤梨穂
出演:佐々木詩音、諏訪珠理、伊藤歌歩、甲本雅裕、風吹ジュン

上映情報:
「第43回ぴあフィルムフェスティバル」オープニングにてお披露目上映。(9月11日(土)14:30〜)


工藤梨穂監督『オーファンズ・ブルース』(PFFアワード2018・グランプリ)

思い出を忘却する前に少女は大切な友の姿を追い求める

記憶が欠落する病を抱えるエマは行方不明の幼なじみのヤンを友人らと探しに。その存在と大事な思い出が消える前に彼女の再会の願いは叶うのか?失われゆく記憶に嘆き苦しむ少女の切なる叫びが聴こえるロードムービー。

Orphans’blues
2018年/カラー/89分

監督・脚本・編集:工藤梨穂
助監督:遠藤海里、小森ちひろ/撮影:谷村咲貴/録音:佐古瑞季/照明:大﨑 和/美術:柳 芽似/美術:プロムムアン・ソムチャイ/衣装:西田伸子/メイク:岡本まりの/制作:池田有宇真、谷澤 亮
出演:村上由規乃、上川拓郎、辻 凪子、佐々木詩音、窪瀬 環、吉井 優


第43回ぴあフィルムフェスティバル

開催日時:
2021年9月11日(土)~25日(土)[月曜休館・13日間]

会場:
国立映画アーカイブ(東京都)

また「PFFアワード2021」は、DOKUSO映画館とU-NEXTで、9月11日(土)~10月31日(日)オンライン配信も開催!

「第43回 ぴあフィルムフェスティバル」の詳細は、下記の公式サイトからご覧ください。