「風たちの学校」採録

2025年5月10日 於:出町座
登壇:田中健太監督、ことみさんのお母さん、秦岳志
1、最初に
秦 沢山の方に来ていただきまして、本当にありがとうございました。今日はことみさんのお母さんが浜松の方から来ていただきました。皆さんと是非お話がしたいとおっしゃってくださっていますので、今日は最初に2、30分、ここでお二人のお話を聞きたいと思います。
その後お客さんの方々と、またそれぞれ悩んでいたりしている生徒さん、親御さんもいらっしゃるかもしれないので、個別にいろいろお話ができるように、茶話会を後半でしたいと思っています。よろしくお願いします。
ではまず監督からご挨拶というか、この映画はどういう経緯で作るようになったのかなど、その辺の話をお聞きします。
田中 今日はお越し頂きましてありがとうございました。「風たちの学校」を作り始めたきっかけは、僕自身が中学時代不登校で、黄柳野高校に入学したんですけれども、自分自身の不登校がどういうものだったのか、そこを改めて考えたい、というところに出発点があります。そこで黄柳野高校を映画にしようと決めて制作が始まりました。
秦 始まりはいつ頃ですか。
田中 本当にだいぶ前で、12年前の2013年なので、20歳の頃。大学生なので学校の課題で。そこから撮影がスタートしたんですけども、時間が経て、大学を卒業してからも続けていました。卒業もストレートにはせずに、紆余右折しながら、ことみさんとそのお母さんと出会い、撮影をさせて頂き、今回10年が経ち映画になったという形です。
秦 何年間撮影したのですか?
田中 映画に出てくるみのきくんと、ことみさんは、同級生のように編集されているんですが、実際は学年が違いまして。 みのきくんは最初の3年間撮影させて頂いたんですけども、ことみさんが実は、みのき君が3年生の時に高校1年生の生徒さんにあたりまして。ことみさんが2年生の時は撮影せず、3年生になってから、また改めて撮影をさせて頂いたような流れです。なので実質撮影期間としては5年間の流れになっています。 そこから秦さんと編集をしていくうちに、あの二人は同級生じゃないか、というふうに見えるようになりました。
秦 はい。すみません遅れましたが、私の自己紹介を。この映画の編集と、アソシエイトプロデューサーというクレジットになっています、秦と言います。すごく少人数で作っているというか、それこそ元々田中監督一人で大学の課題として始めて、卒業後も撮影し続けて、ご自分で編集をしていたんですよね。 私と田中監督が出会ったのが、前の監督の作品のである「ぼくと駄菓子のいえ」が、コロナ前の2017年に大阪のシネヌーヴォで公開された時です。その後2019年に山形ドキュメンタリー道場という、一人や数人で小さな作品を作っている作家さん達が、「どうやって進めたらいいんだろう」と悩み集まり、参加者みんなで作品とか素材を見合い議論をするっていうワークショップがありまして。そこでまた出会ったんです。
田中 そうですね。その時は編集に行き詰まっていたんですけど、色んな人との交流や秦さんの意見を元に、さらに見つめ直すことができて、秦さんに入って頂き、映画の完成が近づいてきた感じですね。
秦 ずっと一人でやられていて、実はこの上映も自主配給なんです。宣伝など一緒にやってくれている人もいるんですけど、基本的には配給会社に頼まずに地道に活動されていたので、それはすごい粘り強い監督さんだなと思っていました。
田中 ありがとうございます。
秦 この作品にも粘り強さみたいなものがあって。それこそ、みのきくんだけで作品にするわけではなく、そこでまたことみさんを追っていく、という撮影を5年間ずっと。監督自身は学校の辺りに住んでいたわけじゃないですよね。
田中 はい、あの時は大阪に住んでいたんですけど、まあ学校には寮があるんで。
秦 あ、学校の寮に泊まって?
田中 そうですね。撮影している間そこに泊まらせてもらいました。
秦 母校ですしね。
田中 1週間くらい、学校に泊まってみんなと一緒に生活しながら撮影して、そこからまた帰ってバイトして、また戻って、という繰り返しでした。
秦 でも母校とはいえ、学校で撮影するって大変じゃないですか?そもそも学校の方は、すんなり良いと言ってくれたんですか。
田中 そうですね。でも自分自身が卒業してから2年ぐらいしか経っていないというのがあり。
秦 先生みんな監督を知っていると。あ、先生と呼ぶより、スタッフというんですね。
田中 はい、なので撮影の許可を貰うのはそんなに苦労していなくて。頼むと「いいですよ」という形で受け入れてくださりました。生徒さんに対しても最初全校集会で話をし、受け入れてくれて。そこで撮られたくない方は撮らない、という形でお伝えし、撮られたくないという方にカメラを向けずに、映っても良いよと言う子だけを撮りながら撮影が進んで行きました。
秦 そして最終的にこの二人が一番追えたという感じですね。他にも何人か追っていたんでしたよね。
田中 そうです。他にも何人か追っていたんですけど、何年も撮っていると関係や気持ちが変わったりしてしまって。
秦 何となく離れていってしまうみたいな感じですかね。
田中 そうですね。卒業をすると連絡がなかなか取れなくなったりとか、許可が取れなかったりとか、そういうのもあったりして。逆に言うと、ことみさんとはずっと関係を持続して、最終的に映画を完成させることができたので、それがすごく大きかったと思います。
2、ことみさんの話(ことみさんのお母さんを、母、と記載します)
秦 じゃあちょうど、ことみさんの話があったので。お母さんの方はこの映画の撮影についてはいつ知ったんですか?
母 私はお恥ずかしいんですけど、あまり覚えておらず。確かあれは入学の前の説明会だったんですよ。そこで撮影について言われてたのかな?ぐらいで。 どこで撮ったのかも自分では全く覚えがないんです。でもせっかくなら記念に残るというか、ことみの生きた証って言うとあれですけど、もし覚えていただけるんだったら、それはありがたいなと思って。ことみも撮られることは嫌じゃなかったみたいなので。
秦 それこそ三者面談とか。
母 そうですね。
秦 みんなびっくりされるんですよ。面談の中にあんなカメラを持ち込めるの!?みたいに。
母 あれも覚えてないぐらいなんですが。自分でも、面談の際、映画の中に出てくるセリフを言っていた事は覚えてはいるんですけど、撮られていたこと自体はもう覚えていなくて。
秦 監督自身は存在を消していたんですかね。
田中 いや、消したつもりはないんですけど。
母 多分ことみと私のオーラが強すぎたのかな。そう、でもね学校に行かなかった子がね、ああやって学校に行こうかなっていう気持ちになったのは良かったですよ。
秦 そうそうあのね、映画の中でも言っていましたよね。ことみさん、ほぼ自分で行くことを決めたそうで。
母 そうなんです。
秦 でも、黄柳野高校に入学することはお母さんと話して決めたんですか?
母 はい、私がネットで調べて。当時は中学3年生だったので夏休みにどこの学校でもやってる、オープンハイスクールに行ったんですけど。浜松の校舎に通わなくてもいいような学校は沢山あるものですから、そういうところにも一応面談は行きました。だけどいつも帰り道で「ここはちょっと違うよね」「これは、ことみのやりたいことじゃないよね」と話していたんです。 せっかく時間を使って行くんだったら、やりたいと思うことをやった方がいいよね、と。そこに入っても行かないんだったらもったいないよねって話をしていると、だんだん選択肢が浜松の外になってしまいました。 そこでネットで調べて、「不登校」っていうワードをいれたら全寮制を見つけました。ことみは、ちょっと私とは距離を置いた方がいいかなと思ったので、全寮制で探し始めたら、黄柳野高校さんが一番近かったんです。 本当はもう一校、近くにはあったんですけど。そこだとスクールバスというのが出ちゃっているため、近いということで、なかなか寮には入れてもらえない、という事情がありました。あまり家から近すぎる場所に行っちゃうと、だんだん行かなくなっちゃうし、甘えちゃうので。自立をさせるためには外に出そうと思いました。
秦 それはことみさんの家から出たいという思いがあったんですね。自立心がすごい。
母 私と離れたことが良かったのかなと思います。
秦 不安じゃなかったんですか。
母 不安です100%。あの子も不安だし、こっちも不安だったんですけど、自分で行くって決めたなら信じて送り出すしかない、って思って出してしまいました。
秦 実際行き始めてどうでしたか?
母 最初はすんなり入ったんですけど、やっぱり寮生活って慣れないじゃないですか。1週間、2週間くらいで少しずつ先輩との関係とか、寮の中でやっぱり上下関係とかどうしても顕著になってきますし。
秦 衝突とかありますよね。
母 自分で自炊もしてきていない子だから。
秦 そうか、あの中では自炊もしなきゃなのか。
母 自炊もあるし、料理は勿論先生方が出してくれますけど、食べられなかったら自分で作らなきゃいけない。洗濯もやらなきゃいけないし。 あとは、寮生活はやっぱり十個ルールがあれば十個守らないとうまくいかない生活に加え、今までやってきていないところをやらないといけない。「自分がこう思っているのに、なんで他の人は違うの?」という風になりやすいんです。理解したいという気持ちはあるけど、でも皆が皆お互いそう思っちゃっているから、それはもうやっぱり衝突し合ってしまい。何回も学校から夜8時以降に電話もありました。
秦 学校のスタッフから?
母 寮の先生から。お迎え来れますか?って言われて、1時間半弱かけて迎えに行くことも度々ありましたね。しばらくは家で冷静になって、また行けるようになってからまた戻ると。 映画の中でも、3年間であの子はすごいガラっと変わっていくのを、見ていただいて分かったと思うんです。高校2年生から3年生になったくらいからガラッとメイクしたりして、爪が大好きでネイルをやったりとか。今見ると懐かしいし面白いなと思うけれど、もし時代があの頃のことみを受け入れてくれていたら、もっと救われていたのかな、と思います。
秦 成長するにつれていろんな変化があると思うんですけど、お子さんが離れたところにいるとなかなか見えづらい部分があったと思います。 黄柳野高校での経験が、ことみさんにどんな影響を与えたと思いますか?例えばギターを初めて弾き語りしたりとか。
母 ギターは中学3年生の時、縁あって不登校の子達が集まる集会に参加した際、おじさん先生が「ギター触ってごらん〜」と誘ってくれたんです。家でギターを買ってあげてからはずっと弾いてました。
秦 家でも弾くんですか?
母 ガンガン弾くんですよ。それがストレス発散になって、自分の居場所になるのであればいいかなと思いました。作詞作曲まで自分でやり始めて、その結果スクリーンでああいう感じで映してもらえて。
秦 素晴らしい。びっくりしますよね。
母 ありがたかったですね。
3、みのき君の話
田中 映画の中に出てきたボクシングのシーンがあると思うんですけど、あれ実は授業なんですよ。授業の協力をしてくれているボクシングジムがありまして、みのき君は卒業後、そこに所属してプロのボクサーとしてデビューし、活躍しています。 試合にも出ていまして、ネットで「みのき、ボクサー」などで検索すると出てきますので、もしよろしければ応援してくれると嬉しいです。
秦 試合はどの辺でやっているんですか?
田中 やはり名古屋や豊橋が多いんですけど、たまに東京とかでもやってまして、次は東京に行くみたいです。関西はあまり聞いたことがないですね。
秦 立派になって。
田中 魅乃麒(みのき)という名前でやっているんです。
秦 ところで、よく聞かれると思いますけど、アメリカには行ったんですか?
田中 映画の中で行く話にはなったんですけど、アメリカは行ってなくて。ちょっと僕も詳しく聞いていないのですが、結局、お父さんのところで仕事を一緒に手伝いながらボクシングをやるっていう夢ができて、今はボクシングをやっている感じです。
秦 でもみのき君のお父さんは長野ですよね。
田中 そうです。お父さんとは離れて、同じような建築系の仕事をしたりとか、試合にお父さんが来たりとか。この写真には出てないんですけど、みのき君のボクシングパンツにお父さんの会社の名前がスポンサーとしてついてるんです。「杉山建築」と。
(魅乃麒さんの試合時の写真を見ながら)
秦 試合を見に行きたいですね。
田中 ぜひ。多分4ヶ月ぐらいに一回くらいやっていて、2ヶ月前ぐらいにもあったので、また今年の夏終わりでやると思います。
4、田中健太監督の話
秦 この間大阪でやった上映後の茶話会にも、やはり卒業生の人がいらっしゃったし、去年卒業した子のお母さんも来ていたんですけど、やっぱり卒業してから社会に順応していくのは結構大変って皆さんおっしゃっていて、「学校はあのような雰囲気で何でもちゃんと対応してくれるけど、最終的には社会へ向かって出なきゃ」っていう話がありましたけど、実際に監督自身は卒業されて、どうでしたか?
田中 僕の場合は逆に言うと運が良かったところはあるのかなと。大阪芸術大学に進学して、世間一般でいうかっちりしたところとは違い、芸大なので比較的自由度が高いし。黄柳野の雰囲気のあるようなところでした。
秦 それで卒業後はどうしているんですか?
田中 卒業後は映像の仕事をやりながら、空いた時間で、そのお金を元に映画を作り、そこから上映をしています。本職は全然映画じゃないですけど、映像の仕事をしながら。
秦 東京ではカメラマンのアシスタントみたいな感じが大きいんですかね。
田中 そうですね。とか、その企業系のPR動画を作ったり。編集みたいな仕事や、ADの仕事もしています。何でも屋みたいな感じでやっています。
秦 自分の居場所を見つけたわけなんですよね。
田中 そうですね。ようやく。
5、最後に
田中 今作品なのですが、自主配給の映画ですので、なかなか豊富なネットワークや、資金力があるわけではありません。
秦 みなさまの口コミが頼りです。
田中 もしよろしければ皆さんのお力で、色々な方に届いていければいいなと思っております。この映画にとってもそれが一番幸せな届け方だと思っています。地方の劇場公開もありますし、あと自主上映も随時受け付けておりますので、もしよろしければぜひお声がけください。 またパンフレットは七百円で売っていまして、ことみさんが卒業式で歌った曲を改めて歌ってくれたものを収録しています。 もしよろしければパンフレットの中にQRコードがありますから、そこからアクセスして聴けますので、是非是非お買い求めください。
本当に今日はありがとうございました。
秦 ありがとうございました。

風たちの学校ホームページ